2012年1月17日火曜日

どんな方向にむかっているのか

今日の読売新聞一面トップは、「君が代」問題について、最高裁の判決が出たという記事でした。
全国では、原則「戒告」に止まっている中、東京都だけが「停職・減給」といった懲戒処分を科してきたことについての、最高裁の判断は「都の処分は重い」といったものでした。

この件については、様々な立場や思想などから意見が大きく分かれ、同じ民主党調布市支部内でもいつも熱く議論が交わされているものの1つです。

私はいつも「処分」ということに関して、力でねじ伏せる的なあり方はどうかという感覚を持っています。極端な処分は反発を招くものですし、「力」に対しての反発はなお硬さを強めてしまうだけで、結局何のための反発で何のための処分なのかという本筋を大きく曲げてしまう事になるのだと思っています。

公務員は服務命令に従うのは当然です。ただ、大阪でも維新の会の下、府と市が共同で教育改革に着手をするという動きには不穏な意図を感じます。
橋下市長は、「道徳は一番危ない。心理的なマインドコントロールになりかねず、政治から距離を置くべきだ」と発言をしているようですが、自分の思惑に教育を持って行こうとしているような行動と言動とで論理がかみ合っていないと思います。政治の意図、時の政権の方針・方向に「教育」が利用され易い方向に向かっていくことに対しての危機感は持っていないのでしょうか。強い指導力があると評価の高い氏だけに、カリスマ性があだにならないかと心配でなりません。一体どんな方向に持って行きたいのでしょうか。


過去に、都教委が都立学校の職員会議における職員会議における挙手・採決を禁止したことに対して、三鷹高校の元校長が、都教委の通達に撤回を求めたという事がありました。
東京都教育委員会では、1998年に学校運営規則を改めて職員会議を校長の職務補助機関とし、企画調整会議いう位置づけにしました。「通知は、意志決定のプロセスを明確化したもので、職員会議の議論を制限するものではない。『言論の自由を奪う』というのは議論の飛躍であり教職員が意見を言わないというのなら、意見を聞くように努力するのが校長だ」といったという意向のようですが、でははたしてそれで良いのだろうか、といった疑問をぬぐい去れないでいます。現場では、校長が独走することの不満を地域や保護者が持って、収まりの悪い状況の中「校長の異動」を喜ぶということも起きています。「意見を聞くように努力をするのが校長だ」という都教委の意向はそこには全く顕れていないのが現状ですが、そんな問題点は校長の異動と共に対岸の火事になり「お気の毒」で済まされ、誰も気にしなくなるのです。

とはいえ、オリンピックやまたスポーツ以外でも、日本人が世界で活躍する度に同じ日本人として誇らしく、嬉しい気持ちになるのは、普通の気持ちだと思います。オリンピックでメダルを取り、国旗が掲揚されるのを悔しい気持ちで見る人はいないでしょう。また、金メダルをとったときに君が代が流れるのを不満に思う人がどのくらいいるでしょうか。さらに、震災後に「1つになろう日本」と国旗に寄せ書きをしたり、そこに集ったりする姿に腹を立てる人はいないでしょう。そういった行動からいつも思います。はたして愛国心は罰則を持って育てるものなのでしょうか。

なんだか、ちょっと纏まっていない感の文章ですが、今日はこのほか自転車の歩道走行禁止についての記事など、気になる記事が多かった読売新聞でした。






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