2010年10月7日木曜日

秋の気配


 今朝、雨戸を開けながら、より強く薫ってきたキンモクセイ。甘い香りに、再度秋の気配を感じました。お隣のお庭に、とても立派な木があって、毎年楽しませていただいています。(写真左)と同時に、このタイトルが浮かんだ訳です。

 秋の気配と聞いて、「オフコース」が浮かぶのは、私たちの年代の方だけでしょうか。
 サザンの勝手にシンドバッドや愛しのエリー、ピンクレディーなどが活躍している時代でした。
 
 息子達が「信じられない」という、高校生の頃でした。(私にもあったのよ!高校時代や女子大生時代!!)昨日のブログでは、「かおり・においは、記憶の引き出しを開ける」といったことを書かせていただきましたが、音楽も同様に、記憶の引き出しを開ける鍵ですよね。そういえば、同級生が「目を閉じて、息を止めて、坂上る・・って、危ないよね~、ほんの一時でも」と言ってみんなで目が丸くなったっけ、という記憶が蘇ってきます。単語の同音異義語はたくさんあるけど、代替前後の文で確実に判断できる、と思っていた事が根底から崩れて、「フレーズごと違った理解が出来るんだ!」という経験を初めてした瞬間でした。今、こういう仕事柄、結構気を遣っている部分です。オフコースの名誉のために、当然おわかりでしょうが、目を閉じて、息を止めて、さかのぼる(遡る)んですよ!本当は!

 

 ところで、昨日からノーベル賞受賞の喜びを各メディアが大きく取り上げています。
 日本は、皆さんが口を揃えて仰られるとおり、「資源が乏しく、国土も狭い。故に人の知恵と力だけが世界の競争に勝るものである。」本当にその通りです。今朝のテレビでも、「蓮舫大臣、そら見たことか。事業仕分けで削減するのもほどほどに」なんて言う論調も有りましたが、未だに事業仕分けと・科学技術について、彼女が語ったことが曲げられているという情報に、残念に思います。
 
大臣は、決して科学技術を軽んじているわけではないし、無駄であるなんて一度も語ったことは有りません。
 無駄なのは、そこにはびこる「天下り」に代表される、使途不明で、理解を得られない支出に関してですし、ビジョンのない「名目だけ」の予算配分に関して、必要か。不必要か。なぜ?という点を明らかに出来ない事業に「いかがか」という問題意識を呈したことが一人歩きをしているという事です。議論の中で出たほんの一言だけを取り上げられているという、メディアの怖さを感じます。
 実際、必要な研究者への予算が削られて、天下りは温存などという本末転倒な結果を招きかねない、二面性を併せ持った、危険があったということは否めませんが・・・、後の監視も必要だと思います。

 二男の話では、彼の学校も、「国立学校法人」ということで仕分け対象ですので、予算は削減されているのでしょうが、教授の研究が評価をされたそうで、実は所属しているゼミでは、予算が昨年より多く付いたという事らしいです。
 必要な予算と、不必要な支出をしっかりと監視してあぶり出していくという作業が、山のようにあります。これは、調布市でも沢山隠れていると言われています。せっかく政権交代があり、地方でも少しずつ空気が変わってきました。私たち地方議員も、出来ることをそれぞれ行い、地元でも有るという意味のない「天下り」を徹底的に崩していかなくてはならないという使命があります。



左の写真は、我が家の手入れをしていないジャングル状態の庭で、密かに咲いてくれた花です。この辺は、「ニラ」が植わっていたんだけど・・・。
蚊がすごくて、今更中に分け入っていくという勇気が無く、もう少しし寒くなるまで、ご近所には申し訳ありませんが、このまま放置というプレイで・・・。 (謝)

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