2011年6月3日金曜日

国の方向

昨日の、内閣不信任決議案採決の動きは、国民の皆様にとってどれだけの意味があったのでしょうか。「賛成票が多そうだ」「採択される」・・・とメディアも大騒ぎ、すわ総選挙か!?などと騒がれて・・・。
総選挙になれば、一説によると800億!もかかるそうですし、さらに肝心な被災地では統一選も出来ない状況だというのに、総選挙が出来るのだろうか?などという問題も。また、原発事故で強制的に避難させられている自治体の皆さんはどのように投票行動を行うことが出来るのでしょうか、また、選挙活動はどのように行うつもりだったのでしょうか・・・。

そんなこと諸々、考えての騒ぎだったのでしょうか。

野党の皆さんは、ここぞとばかりに「政権奪回」へと動いています。実際に選挙が行われたら、当然ながら現政権への批判から、再度政権交代ということになってしまうという確立も低くはないでしょう。そんな勢い・風頼みの行き当たりばったり政治を、国民は本当に望んでいるのでしょうか。

ニュースやワイドショーなどをみていると、どこのチャンネルでも「民主のドタバタ劇」という扱いです。もっともといえばもっともですが、そもそもこんなご時世に「不信任決議案」を提出するという行動自体は、自公さきがけの各党には何の責任もないといえるでしょうか。
また、驚いたことに、今日の国会も今回の顛末をあれこれと引きずっての質問ばかりであきれてものも言えません。こんな事を国民の皆様は求めていないはずです。今、山本一太氏がまさにそんな無益な質問をしています。何が言いたくて、こんなに時間を使っているのでしょうか。

「一定のめどがつくまで」この言葉ばかりが一人歩きをしているようですが、これはどう捉えたらよいのでしょうか。時期をハッキリと断定することが出来ないから、曖昧な表現なのではにのでしょうか。もし、例えば6月いっぱいなどと時期を切ってしまっては、これまた、目処が整わないうちから「どうするんだ」「責任を取れ」と紛糾するでしょう。
こんな足の引っ張り合いの中から、「一致団結」をして「建設的に取り組む」という行動が生まれるとは到底思われないと感じてしまいます。国会で国の方向をどうするのか。。。遠いところで無関係な話が続いているという思いしか感じません。
「言った言わない」ともめるとか、「どうしてこうだったのか」「何でこうしなかったのか」という過去の責め合いをしている場合では無いはずです。国会議員の皆さんの意識、品位が疑われていると言うことを、どうして誰ひとり気づかないのでしょうか。いくら総理大臣とはいえ、人格全てを否定されるような失礼な発言。子どもたちはこのようなやりとりを「国会」で行っているということをどのような感覚で見ているのでしょうか。「人間関係」を構築するためのアイテムとしての「言語」ではないのでしょうか。「個人」の尊厳を守るという最低限のルールは一体どこへ行ってしまったのでしょうか。

私も議員のひとりでしたから、「どうしてもここは発言しておかなくては」と思うことは多々あるということは理解出来ます。でも、どれだけ多くの人の大切な時間を、その個人的な自己アピールのために消費してしまっているのか、ということをわかっているのでしょうか。
「そんなこと今更何回も繰り返さなくても、百も承知」ということを、どう考えているのでしょう。

国会は、今、福島県民の代表という事を強くアピールして森まさこさんが「どうしてこうだったのか」的な質問を更に重ねています。いい加減に建設的な議論をして欲しいと切に願います。

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