2011年5月16日月曜日

復興支援その1(瓦礫の山)



東京から約5時間。(私は一番後ろのシートを独り占めして、横になってひたすら寝倒したので、あっという間に到着!?)宮城県岩沼市に到着。
 元は電信柱なのか、木なのか、建物なのか。とにかく、何から手を付けたらよいのだろうかと途方に暮れてしまうだろうな。という状態でした。

岩沼市役所では、市長・副市長・健康福祉部長と話をさせていただきました。市長は、まずは全国からの支援に対し、本当に喜んでいらっしゃいました。そして、ともかく人的な支援を。それも継続しての活動を求めていました。惨状を見ると、一朝一夕には片付かないのが現状です。かなりの時間がかかることを考えると、当然です。


市長の話で印象的だったのは、復興の青写真を力強く語っていたことです。「支援」「善意」だけに頼り切って復興を遂げることは出来ない!民間の資本や活力を上手く利用して、「攻め」の姿勢でまちづくりに取り組んでいこう!というその思いが伝わって来ました。


特に岩沼市のように、海岸線からかなりの広範囲に渡って平坦な地形は、津波対応として、とくに防波堤や消波効果を期しての小高い山や高さのある避難施設などが必要になってきますが、こういったものの設置に対して、民間の資本や市民・国民の協力を得たいと仰っていました。復興の先のまちづくりを既に見据えていらっしゃっています。


岩沼市役所からボランティアセンターに移動し、センターの前で今回の中継ぎをして下さった岩沼市議会議員の森繁男議員とお会いすることが出来ました。簡単なご挨拶だけで失礼しました。

ボランティアサンターでは30分ほど手続きを待って「瓦礫撤去作業」に派遣されました。マスク、ゴーグル、ゴム手袋を装着して準備万端!いざ撤去作業!

・・・・・。
これが予想通りの大変さでした。瓦礫は場所によってですが、高さが50センチから1メートル前後。色々なものが絡み合っていて、特に松の木(海岸沿いに防風林としてたくさん生えていたそうです)が枝や根っこなどかなり難攻不落でした。やっとの思いで上部の瓦礫をどけると、下はヘドロの汚泥。厚さにして10センチほどでしょうか。何とも重たい!ねっとりと粘質でずっしりと重たいのは、油などを含んでいるからでしょうか。ぎっくり腰に気をつけながら掘り出しました。元の土地は砂地のため、撤去した所と汚泥の所とは一目で違いがわかります。

私は掘り出しの天才!なのか、ケチだからなのか、瓦礫からいろんなものを発掘するのが得意だという、妙な特技が判明しました。
・財布 ・証券(5万円) ・証書 ・写真のフィルム(ケースに入っていて状態も期待が出来そう)

こんなものが、中にはまだまだあるんですね。

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